私の職場の私の年齢以上の方々はそのほとんどが自家を所有しています。
そういう人達と飲みにいくとよくこう聞かれます
なんでよしおは家を建てないの?
お金がないからなあ(笑)
でも、アパートの家賃を払っていても自分のモノにならないけど、持ち家なら自分の資産になるじゃないか。アパートの家賃を払い続けているなんてもったいない。
確かにそうだよなあ(笑)
そこで私は反論せず、ぐっとこらえて泡盛の水割りに口をつけ、おもむろにポテトフライに手を伸ばします。そしてケチャップをつけない塩ポテトをポリポリ囓りながら心の中でこうつぶやきます。
確かにもったない・・・
経済的側面からキチンと人生について考えるべきだよ、君は
なぜ反論しないかというと、すでに家を建てた、または購入した人間というのはどういう思惑があったにせよ、人生で一番大きな買い物をしているわけです。そこで経済的特面からは著しく不利であることを指摘すると、人生をしくじったと指摘していることに限りなく近くなります。ちょっと言い過ぎかもしれませんが。
そういう人達には “人生をしくじったことを認めたくない”という強力なバイアスがかかります。そして、なりふり構わず正当化するんですね、意識するしないに関わらず。
彼らに対して理路整然と持ち家を持つデメリットを唱えるのは、はっきり言って時間の無駄ですので、笑顔を浮かべたまま泡盛を飲み続けるのです。
持ち家派のセールストークには巧妙にデメリットが隠されている
まず、彼らのいう「持ち家なら自分の資産になるのにアパートの賃料を払っているのはもったいない」について考察してみましょう。
果たして持ち家は自分の資産になるのでしょうか。
これには持ち家を維持するためのランニングコストの観点が完全に欠如しています。
持ち家には固定資産税がかかり、滞納すると最悪差し押さえられます。自分が購入した家なのに、です。
更に、これがマンションなら修繕積み立て金や共益費がかかりますし、一戸建てだろうがマンションだろうが年数が経過するほど修繕費用がかかってくるでしょう。
“金持ち父さん貧乏父さん”の著者、ロバート・キヨサキ氏は資産をこう定義しました。
「資産とはポケットにお金を入れてくれるもの。お金をとっていくものは負債だ」と。
私はこの考え方に激しく同意します。だから私にとっては家も車も資産ではありません。
持ち家を抱えるリスクとは
○簡単に引っ越せない
当然の話ですが、気軽に住まいを変更することができません。仮に頭のおかしい性犯罪者や、昼夜問わず吠える犬を飼っているヤクザが近所に住んでいたり、後々土壌汚染が発覚したりしても。マンションなら凄惨な事件が同じ棟内で起こったりしても、です。
○自然災害などによるダメージ
火災は保険でカバー出来ますが、一般的に地震保険はかなり割高の上、相対的に損害カバー率が低く設定されています。他には台風で屋根が飛ばされたり雨漏りしたり、シロアリが巣を作ったりしてたら大ダメージです(実際、以前所有していたアパートで起こった出来事)
○売却する際の流動性が低い
不動産は一般的にはすぐに売買できません。急にお金が必要になった場合でも、不動産屋に広告を依頼し、買い主候補が見つかっても金額の交渉、契約、移転登記など、手数料も時間もかかります。また現金や株のように簡単に分割できませんので、相続する際に残された家族がもめる可能性もあります。
他、直接的なリスクではありませんが、銀行借り入れローンに伴う金利についても、昨今は低金利の状況かもしれませんが、はっきりいって余計なコストです。償還期限が長いほど、負担するコストは増加します。
話は少し戻りますが、私の周り限定ではありますが、持ち家派の人々はたいがいお金に困っています。
そして、子どもの学費はどこの金融機関で借りた方がいいとか、お前も今から準備しておかないと苦労するぞとか、大して有益ではないアドバイスをしてきます。
彼らは、例えば5千万円という大金を利息付きで借りて毎月大きな額を返済しているため、金がないのは当然で、完済する30年後には建物は傷み、再度立て替えが必要になります。本人はリタイアしているので、借金は子どもが引き継ぐという負の循環が生まれることもありえます。
しかし、私の場合はこの5千万を株と現金で保有していて、その運用配当が逆に私にお金を持ってきてくれるので、人生を有意義に生きることに使えば贅沢だって出来ます。更にその原資を子どもに引き継げばまさにスノーボール状態で、何代か後にはよしお財閥ができているかもしれません。
このように経済的側面から見た場合、持ち家を持つことはおススメできません。
それじゃあ、家を持つことは正しくない行為なのか、というと事はそう単純ではありません。
長くなりましたので、家を所有することのメリットについてはまた明日書きたいと思います。
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