昨日は”経済的側面からは賃貸派が有利である”という記事を書きました。じゃあ、持ち家を持つことは悪なのか、というと必ずしもそうではありません。人生は経済的側面だけで語れるほど単純ではないからです。
家を所有してもいい理由とは
○家族が増えたり、または子どもが大きくなったので、適正な大きさのアパートや借家を借りる選択肢が狭まった。
現在、我が家は3LDKに5名で住んでいますが、はっきり言って狭い。今後、子ども達が大きくなって部屋が欲しいとか言ってきたら大きな住居に引っ越ししないといけませんが、今の沖縄の状況では3LDKよりも大きいアパートとなった場合、かなり選択肢が限られてきます。あまりないのです。
更に、ケースによっては年老いた親の介護問題が出てきた場合、アパートや借り家では限界があります。仕事場や子ども達の学校といった生活基盤と実家が離れている場合、実家に引っ越すというのも難しいでしょう。
ただ私なんかまだいい方で、周りには子ども5名と夫婦2人の7名で3LDKに住んでいるという猛者が何名かいます。一体、どうやって生活しているのか検討もつきません。
要は、家族の生活の質を上げるためには家を購入する必要がでてくることもある、ということです。
○年を取ると賃貸契約を結べる物件が少なくなるのではないかという不安
私がアパートオーナーだったとしたら、恐らく70歳以上の方との新規の契約は喜ばないかもしれません。特にその方が独身だったりしたら。
その理由として、認知症や長期入院などのリスク、家賃滞納リスク(就労してないケースがほとんどだと思いますので)、不幸にも室内で亡くなってしまうリスク(身よりがない方の場合、諸々の事後処理含む)など、若い入居者ではあまり考えなくてよいリスクが付加されるからです。
まあ、今後は高齢者の割合が確実に増えていきますので、政府から年齢で入居差別しないような働きかけやインセンティブが付与されると思いますし(高齢者対象のアパートへの補助金などは現在もあります)、そこにビジネスチャンスを見つけ参入してくる業者もいるでしょう。なので、そこはあまり心配はしなくていいかと思います。ただ、階段の登り降りは大変になるかも。
そしてこれが一番大きな正当化の理由でしょう。
○家を持つのが夢だった
これはもう経済的側面とかいう怜悧な発想が張り込む余地はありません(笑)
個人はそういうことを度外視して夢を実現する自由があるからです。持ち家を持たないメリットと比較した場合、夢が勝ればそれはそれでいい人生なのでしょう。
家を持ちたいという欲求は誰にでもある
正直、私も家を建てたいと思っていますし、「こういう家や庭にしたい」というこだわりもあります。
例えば平屋で、広い庭に露天風呂や家庭菜園を作り、プロジェクターを使った簡易シアターも作ります。屋敷の周辺には南国らしい色とりどりの樹木や熱帯果樹を植え、玄関には熱帯魚の90cm水槽を置いたり。
ただ、私のライフプランとしては、これから子どもが大きくなる“最大キャパ”に合わせて家を建てると、子ども達が独立した後、それぞれの部屋が“空き部屋(不良債権)”と化します。
なので、子ども達がある程度大きくなって家から出るまではアパートを借り、夫婦2人になってから環境のいい田舎で夫婦仕様の家を建てたいと思っています。その方が資産効率がよいでしょう。もちろん、その時の経済状況を見ながらとなりますので、柔軟な対応が可能です。
その頃にはまとまった資産を築いている(はず)なので、現金一括で購入してもいいでしょうね。利息がもったいないし。
人間も動物の一種ですので、“自分の縄張り”としての巣を作りたいという営巣本能は誰しも持ち合わせています。たぶん。
しかしノープランでちゃんと固めた方針もなく無闇に突き進めば、家のローンを返済し続けるためだけに働き続けるという人生にも陥りかねません。
大事なことは、人生におけるこの大きな買い物をどうするのかという戦略を立てることです。住む場所をどうするか考えることは人生を考えることなのです。
ということで、各々のライフプランや家族構成、そして夢とのバランスを考え、自分が本当に欲する人生を建築していきましょう。
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