私には子どものいない叔母さん夫婦がいました。
家も私の実家の近所にあって、子どもがいなかったこともあり、特に父の姉である叔母には実の子どものように可愛がられていました。
その叔母も80歳を過ぎると認知症の症状が出始め、少しずつ人の名前や関係性を忘れていきました。
入院先の病院で最後を迎えたのですが、その頃は叔父以外は認識せず、言葉さえも満足に話せませんでしたが、赤ちゃんのような無邪気な笑顔をみせるようになり、とても幸せそうに見えました。
とても怖がりだった叔母ですが、恐らく死への恐怖は感じることなく、病気ではありましたが、安らかに眠ることができたのではないかと思っています。
衝撃のニュース
先日見たニュースで衝撃的な事件が報道されていました。
認知症とみられる父親(79)を神戸市の中国自動車道のパーキングエリアに置き去りにした娘(46)が逮捕されたニュースです。
その動機として「自分が面倒をみるより、警察に保護してもらって施設に入った方がいいと思った」とのこと。
あまりにも切なくやりきれない現代の「楢山節考」、いわゆる「姥捨て山」です。
彼女はどういう気持ちで父親の背中を見送ったのでしょうか。
そして、再び家で二人きりになったとき、彼女はどういう気持ちで父親と向き合っていくのでしょうか。
誰もがが直面する問題
厚生労働省の発表では、2025年には高齢者の認知症患者は700万人を突破し、5人に1人が認知症になるという研究報告があります。
現在の平均寿命は男女ともに80歳超であり、平均寿命が30~40歳だった江戸時代と比べると、実に2倍以上日本人は長生きになってるのです。
江戸時代は乳幼児の死亡率が高かったからという理由もありますが(そのため生き延びることができた子ども達のために七五三のお祝いがありました)、成人した後でも、当時有効な治療方がなかった「はしか」や「コレラ」、「インフルエンザ」にかかると簡単に亡くなったそうです。
認知症については色々なタイプがあるようですが、最も有名なアルツハイマー型認知症については、老化過程の一部とも言われており、誰でもいずれは認知症になると訴える研究者もいます。
栄養豊富な食べ物があり、医療技術の進歩した現代の高齢化社会では、当然、高齢者=認知症の割合も増えていきます。
認知症とうまく付き合っていくことができる、そんな社会システムやインフラの早急な整備が求められますが、先ほどのニュースのように、まだまだそのセーフティネットは追いついていません。
高齢となった夫婦が寝たきりや病気になったもう片方を介護する「老老介護」
認知症の高齢者を介護している、高齢者自身が認知症を発症する「認認介護」
その末に体力・気力・お金がなくなり、悲惨な結末を迎える事件も、実際
後をたちません。
そして、介護する側かされる側か、認知症を発症する側かされる側になるのか、はわかりませんが、それは誰にでもかなりの確率で起こりうることなのです。
幸せな老後を迎えるには
戦後の激動の荒波を乗り越え、貧しい中子どもを育て、やっと穏やかな生活を送ることができるであろう人生の最後の時に、悲しい結末を迎える方々に対し思いを馳せざるをえません。
お金で幸せを買うことはできませんが、お金があればある程度の不幸は避けることができるし、選択肢を増やすことができるのです。
父親を置き去りにした彼女の経済状況については知るよしもありませんが、恐らく、余裕のある状態ではなかったのでしょう。
なぜなら、もしそれなりの資産があれば、施設に入居させるなり、ヘルパーを雇うなり、彼女の精神や生活における負担が軽減できるやり方があったはずなのです。
我々のような普通の人々は皆、高齢になりいつか働けなくなる時がやって来ます。
莫大な資産やそこからのキャッシュフローがある一部の幸運な人々を除き、国からの年金しかキャッシュフローがなくなる、最悪の場合、それすらも無いような状態に突入するときが必ずやって来ます。
そんな状況で、もしも「介護される側」になったとしたら、「介護する側」の金銭的負担にだけは少なくともならないよう、自分で何とかする手段を予め準備しておかなければなりません。
自分には妻や子どもがいて面倒を見てくれるはずだから思考停止しても大丈夫、ではダメなのです。
株でも何でもいいのですが、いずれにせよ、投資の基本は複利を生かした運用であり、それは早ければ早いほどいい。
仮に失敗したとしても、取り返しがつく若い内からトライアンドエラーしながら経験を積むべきであり、リタイアしてから大金を運用するための投資を勉強するのでは遅すぎます。
私たちが若い内から資産運用を始めないといけない理由がここにあります。
50位以内に入ったら、うめ吉とちょろ坊をファミレスに連れて行ってあげることになりました。よろしくお願いします。
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