先日、バスの1番前の一人乗り座席に乗っていました。その時の乗車割合は8割くらい。
すると、バスの一番後ろの席に座っていた二人組の男性が大声で話し始めました。その声が一番前の私の席まで聞こえるんですね。それくらい大声で話しているわけです。
嫌でもその内容が耳に入ってくるので後ろを見て確認すると、丸刈りで太った30代前半くらいの男性(以後”おむすび”)が相棒の男(以後”キンピラ”)を相手取り、先日、虐待によって亡くなった小学生の話から始まり、しつけについて持論を大声でまくし立てているのです。
「虐待については当然認められないけれど、俺はさあ、子どもを叱るときに体罰でしつけするのはあっていいと思うんだよね。しつけって難しいし大事だよ。そもそもしつけというのは云々カンヌン・・・」といったことをバス中に聞こえるような声でまくし立てていました。
そして私はこう思いましたね。
お前の親のしつけはどうなっとったんじゃい!!!!
乗客の迷惑を顧みずパブリックの空間に、私的なしょーもない意見をまき散らすという醜悪さたるや。キンピラの声は全く聞こえないので、まるで落語の独演会状態でした。
ただ、あれくらい人目を気にしない図太さというのは一種の才能かもしれない。どこかで憧れている自分がいます。
しつけと虐待のグラデーション
千葉県野田市で父親の虐待の末に亡くなった小学校5年生女児の話が世間で注目を浴びています。去年も東京都目黒区で5歳女児が虐待の末に殺害されたように、このような毒親による虐待死事件は頻繁に起こっていて、”虐待死”とググると5千3百万件もヒットしました(もちろん重複しています)
この事件がこれほど注目されているのは、本来なら女児を守るべき児童相談所などの行政の不手際があまりにもひどく、虐待に加担していたともとれるような対応をしていたからです。
ただ、そこばかりに焦点を当ててしまうと本来の”虐待の本質”がボケてしまうのではないかと思います。今回のケースでは虐待の犯人は父親であり、それを看過していた母親です(母親もDVにあっていて追い込まれていたという側面はあるでしょうが)。
虐待をしていた毒親は例外なく「しつけだった」と言い訳します。では、”しつけ”と称して子どもをたたく行為は全て虐待なのでしょうか。
多種多様の子どもがいて(というか同じ子どもは一人もいません)、それに対応した親がいて、そしてその時々の状況があり、その時々の気分(雰囲気)があるとすれば、その関係性は無限に存在するでしょう。
そして”子ども叩く”という行為が存在することも確かです。親なら自分の子どものお尻を叩くこともあるでしょう。でもそれは確かに”しつけ”の為であり、子どもがまっとうな人間に育って欲しいという願いから出た行為であり、信念をもってやっている行為かもしれません。
これは虐待を繰り返す親の言う”しつけ”と同じ単語であり、「本当にしつけのための体罰なのか」を第三者が判断することはまず不可能です。その行為の幅はグラデーションで、虐待のライン(どこからが虐待でどこからがしつけか)のポイントがどこにあるか誰も指し示すことはできないのです。
家庭内での体罰を禁止する体制をつくるべきか否か
もちろん、家庭内での体罰はないに越したことはありませんが、”叩く”という手段を完全に否定してしまっていいのでしょうか。
親が子どもの心の中に無理やり手をつっこんでとうとうと諭し、心から分かってくれることが出来る子どもばかりではありません。やはり子どもには叩かなければ分からないというシチュエーションがあると思います。
「悪いことをしたら親に叩かれる」ことでモラルや社会のマナーを身に着ける、「理屈はなし、ダメなものはダメ!これは悪いことで、悪いことをしたら叩かれるよ!」と。
ダラダラ叱るよりもパーンとやって、やったこと(罪)を浄化する。そのようにしてあと腐れなくすっきり終わった方が精神的には健全ではないかと思うことも正直あるのです。
まあ、家庭内での体罰を禁止するための法制化や条例化を行うのは、今後そのような行為が発覚した場合、現状、強く守られている親権を超え、行政や司法が児童を保護できる権能を拡大するためだろうという実務的な側面が強いだろうことは予想できます。
ただ、この考えを学校や教育委員会などの教育現場がキチンと理解し共有しなければ、行き過ぎた過剰反応が起こるのではないかと危惧します。
頭のおかしい毒親から子どもを守ることは当然ですが、だからと言って、十把ひとからげに”叩く”という行為を禁止してしまうと、社会全体の総和として重く暗く沈んでいくような気がするのは私だけでしょうか。
と、色々考えてみましたが答えはありません。我々は家族という一つの生活の単位として、暗闇を進むように、己の信じたやり方で、常に自問自答しながらやるしかないのでしょう。
さて後日談。
この日もバスの社内は満員状態で通路まで乗客が立っていました。すると、またまたおむすびがキンピラとともに途中から乗車。私の頭の中では「くる~、きっとくる~」という音楽が流れ始めました。
すると予想は的中し、おむすびがキンピラ相手にまたまたしょうもない話を始めました。
「バスの運転手って大変だよなあ。俺にはゼッテー出来ないなあ。だって片道4時間だよ。水も飲めない。途中でトイレに行きたくなったらどうするんだよ。そもそもバスの運転手ってさあ云々カンヌン・・・」
満員バスですよ。これは俺がキレるしかないなあと立ち上がろうと思った矢先、前の方に座っていたこれも小太り色白の20代後半くらいのわけありそうな女性(以後”お豆ちゃん”)が、
「ばすのしゃないではちいさなこえでしゃべってくだちいいいいぃぃぃっ!!!」
と叫んで降りていきました。
するとおにぎりが、
「えっ、オレ?」
と言ったっきり静かになりました。
予期せずして遭遇したミニラ(おにぎり)対ピグモン(お豆ちゃん)の戦いはピグモン(お豆ちゃん)の圧勝でした。
その後、おにぎりは静かにはなりましたが、時折、強がりの口笛が何回か聞こえました。これマジ話ですからね。
それ以来、バスの車内でおにぎりとお豆ちゃんを探している私がいます。
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